音楽アーティスト山下達郎の魅力とこだわりとは

山下達郎が、ここ数年、精力的なライブ活動を続けていますが、還暦を超えた現在でも、オリジナルのキーのまま歌っていることが注目されています。何気ない話のようですが、人間は年齢とともに、声のトーンが低くなる傾向にあり、多くの音楽アーティストが、年齢とともにキーを下げて唄っているのです。特に山下達郎は、オリジナルのキーにこだわりを持っており、もし、唄えないのであれば、ステージでは演奏しないと公言しています。こうしたこだわりが、山下達郎の音楽アーティストとしての本質であり、多くの音楽ファンを魅了する要因なのです。

さて、山下達郎の音楽アーティストとしての出発点は、大貫妙子らと大学時代に結成したシュガー.ベイブになります。1975年に「SONGS」というアルバムでデビューしています。シュガー・ベイブのこうせきqは、歌謡曲的なアプローチが一切なく、オールディーズを代表とするポップス、ロックを忠実に継承している点で、和製ポップスの礎を築いた点です。

シュガー・ベイブ解散後、いよいよ山下達郎はソロ活動を始めますが、最初から順風満帆であったわけでなく、いつレーベルから契約を解除されてもおかしくない状況だったそうです。状況が好転するのが、1979年に発表したシングル「LET'S DANCE BABY」のB面「BOMBER」が大阪のディスコでかかり始め、スマッシュヒットを記録したあたりです。さらには、1980年に発表した「RIDE ON TIME」は、maxellのCMにも使用され、いよいよ山下達郎の楽曲が広く認められるようになり、1983年に名曲「クリスマス・イブ」が発表されるのです。

山下達郎の魅力は、何と言っても、透明感のある声であり、ハイセンスな和製ポップスに非常にマッチしている点です。また、その声を活かすために、各楽曲には非常に綿密なアレンジが施されています。つまり、どの要素が欠けても、その楽曲は成り立たないのです。近年、アルバムの発表するサイクルが長くなっていますが、山下達郎にはこれからも、良質な和製ポップ・アルバムを発表し続けて欲しいものです。